ヨーロッパの孫に聞かせる
日本と世界の歴史
第4話 複式簿記は人類最高の発明
岡市敏治
前回はことばの話だったね。世界で一番多く使われている言語は英語ではなくて中国語だという話をした。中国語は14億人くらい使っているが、実は地球上の人類全体70億人が使っている共通言語がある。それが複式簿記という会計言語だ。
「会計」とは会社の財務内容を明らかにすること
会計言語とはいったいなんだろう。君のおうちにはテレビや家具がある。外に出ると建物がいっぱいある。車や市電が走っている。ドナウ河には船が浮かんでいるね。これらは誰がつくるのだろう。それは会社(company)、株式会社(Stock company)がつくるのだ。日本には200万社くらいの会社がある。国民の70%くらいは会社の従業員とその家族とみていい。
車や船やビルディングを造るには大きな工場や機械とたくさんの労働者が必要になる。ニッポンのトヨタは年間240万台の車をつくっている。従業員は25万人だ。
製品をつくるにはまず始めにたくさんのお金がいる。だって土地を買い、工場を建て、機械を買って労働者を雇うには膨大な資金がいる。お金が入ってくるのはつくった製品の車を売ってからだからね。その前にたくさんのお金がいるのだ。
トヨタは9兆円*のお金(これを純資産、自己資本ともいう)を集めたが、出資した人(これを株主stockholderという)は33万人(この中には会社や団体も入る)いる。一人当たり約3000万円だ。
*ちなみに、君の国オーストリアの国家予算は700億ユーロ(7兆円)で、トヨタ1社の純資産額はゆうにオーストリア一国の国家財政を凌駕していることになる。
お金を出した人は銀行の金利より高い配当を期待して出資するのだ。
そこで会社の経営者は、年1回経営の状況、つまりどれだけもうかったか、損したかを明らかにし、もうかったなら配当金として、出資した人にreturnする必要がある。この行為を「会計」(Accounting)というんだ。絵にすると図1のようになる。この会計言語が複
式簿記というわけだ。
図1 会計とは
トヨタはこんな会社
会社経営者は年1回、経営の状況を株主に報告しなければならないといったが、その報告書のことを決算書(Finance Statement)という。決算書には貸借対照表(B/S)と損益計算書(P/L)がある。
トヨタの決算書(図2)を見てみよう。
決算書にはB/SとP/Lがある。まずB/Sから説明しよう。B/SとはBalance Sheetの略で会社の財政状態の一覧表だ。トヨタは24兆円の資産を持っている。流動資産とは1年以内に現金化できる資産で現金や手形、商品のこと。固定資産とは土地や建物、機械等現金化するのに1年以上かかる資産のことだ(one year rule)。
この24兆円というお金はどこから調達してきたか、それを表しているのがB/Sの右側で株主の持ち分が9兆円、銀行等から借りたお金が15兆円、合わせて24兆円。
つまり左と右は必ずバランスする。だからBalance Sheetというんだ。
この24兆円の資産を使って、従業員25万人分の給料を払って、年間240万台の車を造った。それでどれだけもうかったか、それを計算したのがP/L(Profit and Loss Statement)だ。売上げは18兆円だった。諸費用を引いて利益は1.2兆円。つまりP/Lとはその会社の1年間の利益計算書のことだ。
B/SとP/Lは実はつながっている。P/Lの最終利益1.2兆円はB/Sの純資産に入ってくる。もうかってる会社は純資産がふくらんでくる。赤字の会社は純資産がへこんできてついにはマイナスになる(債務超過)。こうなると会社は倒産する。
複式簿記の原理
決算書はどうして作るのだろう。それをこれから説明する。それは複式簿記の原理によるのだ。簿記とはBook Keeping。決算書を作るために帳簿を記入することだ。それでは複式(Double entry)とはどういうことだろう。
日常生活では商品を売買することなどを取引businessと呼ぶが、簿記上の取引も、それはほとんど同じだ。簿記上の取引とは、会社の資産、負債、純資産が増減したり、収益や費用が発生する事実をいう。例えば商品を現金で販売すれば、商品という資産が減少し、現金と言う資産が増加し、さらに収益(売上)が発生するので、これは簿記上の取引だ。
このような企業の財産に変動をもたらす簿記上の取引を①原因と②結果に分析し、(つまりここが複式なんだ。)これに勘定科目*と金額を付して記録することを仕訳という。
*勘定科目(Counting subject);現金、土地、建物、仕入れ、借り入れ、売上等のこと。
図3
<例>
[取引A] 営業用の建物を購入し、代金1千万円は現金で支払った。
[取引の二面性]⇒[原因と結果に分析]
(原因) 営業用の建物を購入したので、
(結果) 代金として現金を支払った。
[仕訳] ①勘定科目を付し、
金額を記入する。
これを仕訳すると次のようになる。
仕訳を行う場合に、まず取引を取引の二面性に着目して①原因と②結果とに分析する。そしてこの取引を分析した原因と結果とを左側と右側に対応させて、それぞれの勘定科目と金額を付せば仕訳ができあがる。
この左側と右側とに、取引の原因と結果を書くためには、一定のルールがある。そして、一定のルールは図3で表示されているように、次の基本公式から出発する。
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この式では、左側に資産と費用があり、右側には負債、純資産および収益がある。これが定位置だ。
そして一定のルールとは、それぞれの勘定countingの増加(または発生)があった場合には、その勘定が属する側(左側または右側)に記入するというルールだ。すなわち、①資産の増加や費用の発生があれば左側に書き、②負債や純資産の増加または収益の発生があれば右側に書くということ。逆にいえば、①資産や費用の減少があれば右側に書き、②負債や純資産または収益の減少があれば左側に書くというルールだ。
仕訳では左側を借方(カリカタ)debit、右側を貸方(カシカタ)creditと呼ぶ。入ってきたお金は借方(左側)に、出ていくお金は貸方(右側)に、つまりそれだけのことだ。いくつかやってみよう。
[取引B]甲社より借入れを行い、現金100万円が入金した。
[取引の二面性]
(原因) 借入を行ったので(負債の増加)
(結果) 現金が入金した(資産の増加)
[取引C] 4月30日 甲保険会社に建物の火災保険料2万円を現金で支払った。
[解説]
(原因) 建物の火災保険料が発生し(費用の発生)
(結果) その掛金を現金で支払った(資産の減少)
[取引パターン] 費用の発生―資産の減少
[仕訳] (借方)保険料 20,000 (貸方) 現金 20,000
仕訳で決算書をつくってみよう
原理はこれだけだ。これは「絶対的な完全原理」といわれ、「人類の最高の発明の一つ」ともいわれる。(これは後で説明する)では実際にやってみよう。
<取引の仕訳の例>
(a)現金3000万円の資本金で会社を設立した。
(b)土地2000万円、建物1000万円、備品500万円を購入し、1200万円を現金で支払った。
(c)商品1500万円を現金で仕入れした。
(d)商品を現金1600万円で販売した。
さてこの取引を原因と結果に分析する。それに基づいて仕訳し、試算表(図4)を作ってみよう。
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結果 |
原因 |
(a) (b)
(c) (d) |
現金300万円がある 土地2000万、建物1000万 備品500万円の資産がある。 1500万円の仕入 現金1600万円が増えた。 |
資本金300万円で会社設立。 4500万円の支払いがあるが、 現金1200万円支払い、残りはツケ 現金1500万円がへった。 1600万円の売り上げがあった。 |
仕訳表をタテ、ヨコ集計して、資産、費用、負債、純資産、収益を図3の定位置に収めたのが図4の試算表である。なお、売上げは収益のことで、仕入は費用の1項目である。
この試算表を費用のところでぶっ切った上の部分がB/Sで、売り上げのところでちょん切った下の部分がP/Lである。売上げ(1600万円)から費用(仕入1500万円)を引いた100万円が利益となる。この100万円はP/LとB/Sで共有されている。
この会社の資産は期初より100万円増えたことになる。
も一度仕訳を復習してみよう。
君が会社を設立したとする。事業資金という現金がないとビジネスが始まらないので、現金300万円を用意した。仕訳としては、現金300万円が増えた。増えた原因は資本金だ。増えた現金は借方(左側)だ。仕訳は次のようになったね。
<借方>(増えた額) <貸方>(その増えた原因)
現金300万円 資本金300万円
左と右さえ間違わなければ、今は便利な会計ソフト(『弥生』等)があって、パソコンに数字を打ち込むだけで、簡単に決算書ができあがる。だけど、今述べてきた複式簿記の原理がわからなければ、ただの表だ。(繰り返し、わかるまで読みなおし、自分で仕分けしてみてほしい。)
とにかく、複式簿記はすごい。25万人が働くトヨタの1年間の経営内容が会社で支払ったお金や製品を売ったお金を左と右に振り分け、仕訳するだけで、2つの表(B/S,P/L)となり、そのB/SとP/Lを見るだけで、トヨタの1年間が見えてくるのだから。
この決算書は株主に報告するためだけではない。税務署への法人税申告もこの決算書がベースになる。決算書のもっと大切な役割は、経営改善に使えることだ。
図4の試算表を見てほしい。経営の目的は利益の極大化にある。どうすればよいか。それは試算表を見れば明らかだ。利益は売上げと費用の差だ。この差を拡げることが経営の目的だ。差を拡げるにはどうすればよいか。それは売上げを伸ばすか費用をおとすか、どちらかだ。試算表を見れば明々白々だろう。利益が増えれば、資産(現金)も増え、会社は豊かになり、従業員もハッピイになる。
図4の試算表を金額を省いて書き直したのが図5だ。この試算表をよくよく見てほしい。右側の負債、純資産、収益はお金の調達だ。左側の資産、費用は右で調達したお金をどう活用(運用)しているかを現わしていることに気づくだろう。
まずAでお金を調達する。そのお金でBで土地を買い、工場を建て、機械を買う。運転資金の現金も残しておく。Cではその現金で人を雇って給料を払い、材料 を買い、機械を動かして製品を作る。(つまり資産のままでは何も生まない。資産を費用化することによって、付加価値のついた製品が生まれるのだ。)その製品を売ってDで売上げ、収益となる。収益と費用の差が利益Eとなって純資産をふくらます。その利益Eは資産の現金増となってCの費用に使われDの収益となる。このようにお金はA→B→C→D→Eと時計を逆回りにぐるぐる廻ることによって会社は成長してゆくのだ。会社の目的はE利益の極大化にあるとは、先ほど述べたとおりだ。そのためには絶えざる売り上げのUpと費用のCost Downが求められる。
上B/Sと下P/Lにちょん切るから分かりづらい。複式簿記の核心は試算表にある。会社経営はこの試算表を見れば一目瞭然だ。Simple にしてbeautifulではないか。この原理となった複式簿記を発明したのは一体だれだろう。
近代ヨーロッパの躍進を支えた複式簿記
ナポレオン時代のドイツの文豪ゲーテは『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』の中で登場人物にこう言わせている。
「商売をやっていくのに、広い視野をあたえてくれるのは複式簿記による整理だ。整理されていればいつでも全体が見渡せる。細かしいことでまごまごする必要がなくなる。複式簿記が商人にあたえてくれる利益は計り知れないほどだ。人間の精神が生んだ最高の発明の一つだね。立派な経営者は誰でも経営に複式簿記を取り入れるべきなんだ。」(岩波文庫、山崎章甫訳)
「人間の精神が生んだ最高の発明」だとゲーテがいう複式簿記はいつ誰が発明したのだろう。ヨーロッパ中世、ルネッサンスの時代、地中海貿易が盛んだった。ヴェネチアの裕福な商人が何人か仲間を募って元手となるカネを出し合う。そのカネで船を購入し、乗組員を雇い入れ、羊毛製品などの輸出品を積み込む。そして出帆。エジプトのアレクサンドリアで、輸出品を売りさばいて胡椒(スパイス)を購入する。東南アジアのモルッカ諸島でとれるスパイスは金と同じくらいの価値があった。肉食のヨーロッパ人にとってスパイスは肉をおいしくたべるための防腐剤として貴重だったので、イタリアまで持ち帰ると膨大な利益をもたらしたのである。一航海終わると、乗組員を解雇し、船を売り払って、残金としての利益を出資者に分配した。これならP/Lで事足りた。総売り上げから総費用を差し引いて、残りを分ければいいわけだから。
ところで、こんなにもうかるのだから一回こっきりにしないで、船は持ち船とし、腕のいい船長も乗組員も常雇いにしようという知恵者が出てきた。そして何回も何年も航海を繰り返す継続事業(Going-Concernつまり会社の誕生)となった。資産を計上するためのB/Sが幾世代も経て秘伝として確立していく。この秘伝を『スムマ』*という著書にしたのがイタリアの数学者ルカ・パチョーリである。
*『スムマ』の原本は実はニッポンの神戸大学付属図書館にある。神戸大学はOPAとOMAの母校だよ。
中世イタリア商人による地中海貿易
福沢諭吉翁
『スムマ』が出版されたのは1494年、コロンブスのアメリカ発見の2年後のことである。レオナルド・ダヴィンチの友人でもあったルカ・パチョーリは「複式簿記の祖」とも「近代会計学の父」ともいわれる。
中世の世界3大発明は、「火薬」「羅針盤」「活版印刷」だが、複式簿記はそれに勝るとも劣らない人類史に残る画期的な発明である。だってその後の資本主義の発展、とりわけ近代ヨーロッパの躍進は、この複式簿記の発明がなければ到底考えられないのだからね。
複式簿記を日本に最初に導入した人は、福沢諭吉である。現代ニッポンで一番カオが売れている人だ。1万円札のボスなんだから。福沢は1874年、アメリカのBook keepeing(簿記)の教科書を翻訳して『帳合之法』*を著した。これ以後、ニッポンは産業革命をおこし、たくさんの会社をつくり、富国強兵、殖産興業で30年後にはヨーロッパの大国ロシアを日露戦争で打ち負かしてしまうのだ。
*福沢諭吉『帳合の法』余話
福沢諭吉は『帳合の法』の緒言に次のように記している。
「古来日本国中において、学者は必ず貧乏なり、金持は必ず無学なり。けだしそのゆえんをはかるに学者は商売は士君子の業に非ずと、金持は商売に学問は不要なりとて、知るべきを知らず学ぶべきを学ばずして、ついにこの弊に陥りたるなり。いずれも皆商売を軽蔑してこれを学問と思わざりし罪というべし。今この学者とこの金持とをしてここ『帳合の法』を学ばしめなば、始めて西洋実学の実たる所以を知り、学者も自ら自身の愚なるに驚き、金持も自ら自身の卑しからざるを悟り、天下の経済、更に一面目を改め、全国の力を増すにいたらんや。訳者の深く願う所なり。」
かくしてわが国の大学に経済学部、経営学部が設置されることにつながっていく。ちなみに神戸大学山学部の大先輩である平井泰太郎経営学部教授(故人)に『ぱちおり簿記書』という訳業がある。“ぱちおり“とはルカ・パチョーリのことである。神戸大学図書館に『スムマ』を購入せしめたのは、きっと平井教授であったろう。
さて、今回は少し難しかったかな。君はドイツ語も日本語も話せるバイリンガルだが、ぜひ複式簿記の会計言語も身につけてもらいたいとニッポンのOPAは考えているのだよ。次回は「地球の歴史」について話をしよう。(つづく)